ステージごとの出会い

スピリチュアル

教える資格とは?

ある日あるとき私の知人が、あるトレーニング・クラスの講師のプロフィールを見て言いました。

「仮にもクラスを開いて生徒を集めようとするのであれば修了した時間数だけではなくある程度の実績や修練年数が必要だろう。
(プロフィール画像を見ながら)こんな簡単なフォームも完璧にとれないのでは他人に教える資格はないね。
それに、たった数百時間の講義を受けただけでは、自分のように数年以上の経験を持つ”生徒”に教えることなんかできないだろうな」

確かに彼の言うことも一理ありますが、私はちょっと違う考え方をします。

私は、必ずそのひとのそのときのレベルに適した先生なり、生徒なりとご縁があると思っています。
プロとして活動するには”このくらい”できて、あるいは知っていて当然だと考えたとして、誰がその「このくらい」を判定するのか、人によって基準は全く違います。
また、すべてのひとが同じ”完璧さ”を求めているわけではないでしょうし、生徒側からでも先生側からでも、それを押し付けられる…押し付けられているつもりはなくても…と感じるのもつらいことでしょう。

ご縁によって出会う

あまり上手な例えではありませんが、これは、小学校と大学の講師の”違い”だと思っています。
小学生に大学生の考え方や振舞いを求めても無理でしょう?

しかし、小学生が大学生より劣っているわけではありません。
ただ、それぞれの立っているステージが違うというだけです。
ですから、小学生には小学校教員が適切に指導するのですし、大学生も同様です。
もちろん、これは大学講師の方が小学校教員より優れているということにはなりません。
理由が判らないというのなら、一度、入学したての小学一年生ひとクラスと丸一日過ごしてみてください。きっと、小学校教員の”偉大さ”が判ると思いますよ(笑)

まあつまり、大学では大学生に相応しい講義を行い、小学校では小学生にも理解しやすいように教え導くということで、これは講師の優劣の差ではなく純然たる役割の違いということです。

そんなわけで、前述の私の知人曰くの”勉強不足”の講師の例で行けば、私が思うに、彼らの役割はそのトレーニングに興味を持つひとを増やすということではなかろうかと思います。
自分はこの程度で十分と思うひとは長くそこに留まるでしょうし、もはやそこでは物足りなくなれば自ら他に移るでしょう。

それぞれのステージでの学びが終了すれば自然に次のステージが現れます。
そして、次のステージへと移っていく段階で次第に両者のご縁が薄くなっていき、また、そのときの自分にマッチしているひとと出逢えることと思います。

佐倉ゆめか

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小中学校で養護教員(保健室の先生)をした後カイロプラクティック師に転身、ゲストの体の美と健康に貢献。のちに、心身だけでなく魂との調和も大切にして自分らしく豊...

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