権力争いにも迫害にも負けなかった日本初の尼僧

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今から1400年前に誕生した日本初の尼僧

仏教は神道と並んで日本人にとってメジャーな宗教といえます。日本人はよく言えば宗教に寛容、悪くいえば無節操ですが、それでも今のところ、大多数の人が菩提寺を持ち、お葬式は何らかの仏教宗派にて行うことが一般的といえるでしょう。

また、初詣も神社だけでなく、お寺に行くという方もいますし、厄払いもお寺で行ったりしますので、そういった意味ではクリスマス時期以外は、信者でなければ教会にでかけることのないキリスト教に比べると、外来の宗教の中では最も身近なものだということがわかります。

そんな仏教が伝来したのは、今から1400年ほど前の6世紀のこと。厳密にいうと、日本にやってきていた渡来人が、仏教を信仰していたために、仏教が正式に国のトップへと伝わったのが、それぐらいの時期ということになります。

この時期にも諸説あり、538年と552年という説が今のところ有力ではないかとされています。日本に仏教が伝わってから、宮中の権力闘争が、仏教と神道の対立という形で表面化していたのですが、そんな権力闘争の真っ只中に、日本初の尼僧が誕生しました。

12歳にして激しい迫害を受ける

『日本書紀』に西暦584年、帰化人である司馬達等の娘である「嶋」が、出家して「善信尼(ぜんしんに)」と名乗るようになったという記述があります。この時に彼女が師事した僧侶は、高句麗から渡来した人物でしたので、日本では最初の尼僧であり、仏教者、すなわち僧侶ということになります。つまり、日本初の僧侶は女性だったのです。

さらに、驚きなのは出家した時の年齢で、なんと11歳! 当時は、現在と比べて低年齢で成人と見なされた時代とはいえ、現在でいうと小学生の年齢で出家したのです。さらに、出家してほどなく弟子として、年下の2人を尼僧として迎え、蘇我馬子が自分の家の敷地内に設置した仏殿で仏像を供養しはじめました。

なぜ、11歳という若さの少女が日本初の僧侶になったかというと、前述したような権力闘争が関わっているのではないかといわれています。仏殿を設置した蘇我馬子は仏教推進派でしたが、伝来したばかりの仏教を強烈にプッシュすることは難しいと考えて、純粋な日本人ではなく、なおかつ神社につきものの巫女と同じ、若い女性を採用することで風当たりを弱くしようとしたというわけです。

しかしながら、仏教反対派の力は強く、出家した翌年には、疫病が流行したのは仏教を信仰したせいだという理由から、彼女たちは見せしめとして、多くの人の前で全裸にされた上に、鞭打ちをされるという迫害を受けます。12歳という年齢の少女にとって耐えがたい恥辱と苦痛だったと思いますが、彼女はそれでもめげずに、弟子の2人を励まして、仏教を広めるという使命を忘れなかったのです。

今の時代だからこそ知りたい善信尼

鞭打ちにあった3年後には「百済」へと渡って、本格的に仏教や戒律を学ぶために2年間留学したのち帰国、その後は、桜井寺という所で尼僧の育成に励むことになります。その後、彼女に学んだ兄弟がようやく日本初の男性僧侶となるわけですので、まさに苦難を乗り越えて仏教を日本に定着させたわけです。

しかしながら、その後、仏教が本格的に定着するに従い、仏教に女性が携わることを嫌う風潮が優勢になり、長い間女性蔑視の伝統が続くことになります。鎌倉時代になり、ようやく尼僧の立場が確立されますが、明治維新以降の女性蔑視の傾向から、再び尼僧を排斥する風潮が生まれるなど、尼僧にとって多くの苦難があったためか、日本初の尼僧であり、僧侶であった「善信尼」の名前は近年まであまり注目されてこなかったわけです。

男性も女性も同等であるという理念が広まっている現代だからこそ、若くして出家をし、苦難の道を乗り越えて、仏教を広めた善信尼の偉業を忘れずに伝えていきたいものです。

COCORiLA編集部

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